2025年9月22日
第234回
標準的な出産費用の自己負担無償化
 厚生労働省が少子化対策の一環として標準的な出産費用の自己負担の無償化を来年から実施するとしています。簡単に言えば正常分娩の妊婦負担はゼロにすると言うことです。
 妊婦さんにとっては良い話で出産意欲が湧くでしょう。産婦人科にとっても分娩増加に繋がるので原則的には賛成ですが、出産費用を幾らに設定するかで賛否が分かれるところです。
 そこで、先日愛知県医師会が厚生労働省の保険課長を呼んで現在までの進捗状況、はっきり言えば価格を幾らに設定するつもりか本音を聞かせてもらう機会を作りました。

 先ずこの自己負担の無償化は少子化対策の一環として行われる事業で、少子化対策の第一歩は女性が子供を産んでくれることから始まるので、社会的にも経済的にも生みやすい状態にするのが重要だということで、少子化が続いた場合の将来的な不安など色々なデータを示して説明してくれました。
 講演の内容はとも角、我々が日頃あまり見ないデータを示してくれて、それが意外と興味深かったので少し紹介します。
 2020年の人口は1億2千615万人ですが、2040年には1億1千284万人と1千331万人程度の減少となり、特に15才~64才の労働人口の減少が顕著で1千296万人減となる予想です。一方で老人人口は団塊ジュニアの世代が65才を超えるため増えるそうです。これは経済活動の衰退につながり、老人医療・介護や子育てに深刻な影響を及ぼします。統計的にも2000年には国内総生産に対する給付費(年金、医療、福祉,その他)が14.6%だったのが2020年には24.7%に増えました。
 一方、出生率は減り続け、2024年には1.15にまで下がってしまいました。東京が最低で0.96、因みに愛知県は1.22です。子供は女性しか産めませんので、出生率は2.0を超えなければ人口は増えません。これでは減少する一方です。又、50才未婚率は男性30%、女性20%だそうです。逆に言えば女性の80%が50才までには結婚すると言うことで、女性の初婚年齢も2023年で29.7才とそれほど高齢化はしていませんが、何故か出生率は1.15まで下がりました。
 これは経済的なことが原因しているようです。女性の就業率は25∼29才で約90%となり、出産世代の30代でもそれほど下がらず65才を迎えますが、正規雇用率は25∼29才のピークから子育て世代の30代以降に下降し、L字カーブを示しています。この辺が産み控えの原因になっているようだとのことです。そこで政府としては「こども未来戦略」でライフステージを通じた子育てに係る経済的支援の強化や若い世代の所得向上に向けた取り組みとして出産時の経済的負担の軽減の一つが、今回の分娩時自己負担の無償化だと言うことでした。
 今、都道府県によって又病院によって正常分娩の価格は様々です。先ずは都市部か田舎かで変わります。東京は平均が62.8万円と他県に比べて突出して高い値段で、その上特別室を頼んだり特別食を頼めば100万を超える病院も稀ではありません。全国の正常分娩の平均額は52.8万だそうです。現在出産一時金が50万円保険組合から出ており、産婦さんは追加分を支払うことになっています。これを無償化すると言うことですが、政府としては健康保険と同じように全国一律の価格にするでしょう。我々産婦人科としてはその額が問題です。
 産婦人科側にとっても無償化によって分娩が増えればその分収入が増えて経営が楽になるので歓迎ですが、支給される額によっては今までは追加料金が取れていたのに取れなくなるので、東京や名古屋など都市部の産婦人科では却って経営的に苦しくなる可能性があり得ます。
 例えば、名古屋の標準正常分娩費用は約60万円です。もし無償化の価格が全国平均より少し高い程度の55万円で決るとしたら、分娩毎に5万円の赤字になります。これではお産を扱うと赤字になってしまうのでお産を扱わない産婦人科病院に方向転換せざるを得ません。これは病院としても苦しい選択です。
 一方でお産を扱う病院が撤退していくと妊娠しても診て貰う所がなくて、妊娠を躊躇することになるかも知れません。昔言われていたお産難民が出る可能性があります。それでは本末転倒で少子化対策の意味がありません。
 高水準で価格決定してくれれば、医者側としては納得ですが、国の財源にも限りがあってそうは行かないのが厚労省の苦しいところです。現在出産一時金は全額保険組合から出ているそうですが、保険組合も少子化対策ばかりに予算は組めない。他に老人の介護、診療とか重要な部門があります。無償化に関しては国や都道府県でも補助することになるそうですが、そこでも予算は多くない。だから医療側が期待するほど値上げできないが諸般の事情を検案して理解して欲しいという主旨の講演でした。
 妊婦さんにとっては良いことだと思いますが、結局具体的な価格を示してくれなかったので我々としては良いとも、悪いとも言えない現状です。
ホスピタルズ・ファイル