2016年6月20日
第123回
6月からすっかり暇になりました~。

 5月一杯で愛知県産婦人科医会の会長を勇退しました。会長職は2期4年間続けましたが、その間はかなりハードな毎日でした。午前中は原則として外来や病棟回診など当病院の仕事をして、午後からは会議や打ち合わせのため、週に3~4日は医師会館に通っていました。その他、学会や会議で東京や地方へ出張することも月一位の頻度であり、病院を空けることも屡々でした。
 勇退して20日ほど経ちますが、午後から医師会館へ行く用も無くなり、すっかり暇になってしまいました(退屈で~す)。会長の頃は、忙しくてのんびりする時間が無かったので、辞めたらあれもするぞ、これもするぞと趣味などでしたいことをあれこれ考えていましたが、現実になってみると直ぐには切り替えられなくて今の処ただボンヤリと手持無沙汰にしています。特にこの1ヶ月位は前回お話しした"母と子のメンタルヘルスフォーラム"の準備でてんてこ舞の忙しさでしたので、今はその時とのギャップが激しすぎて、気が抜けたように無気力になっています。
 先日、病院の幹部の人たちが慰労会を開いてくれました。挨拶の中で、"激務ご苦労様でした"は"ハイ有難う"と云う感じですが、"無事退職おめでとうございます"と云われると"辞めることがめでたいのかなぁ"とやや違和感を感じましたし、"これからはのんびりと余生を送ってください”に至っては"引退しろと云うことか?まだ俺はボケてはいないぞ!"とイジケテしまいますが、ここは心機一転、趣味だなんだと云う前に、先ず医師本来の仕事をきちっとしてシャキッとしなければ駄目ですね。その上で空いた時間を趣味やスポーツに徐々に切り替え、彼らの思惑通り優雅な余生を送るようにしましょうか。(出来るかなぁ?第一会長を下りたからと云って現役を退いた訳ではないし、未だ余生と云う程、老け込むつもりは無いですけどね・・・)
 思い起こせば、医師会や産婦人科医会の活動に関わりだしたのは、開業して10年くらい経った50代前半からでしたから、もうかれこれ25年ほどになります。最初は先輩から、"貴方も開業して10年経ち自分の病院は落ち着いただろうから、少し医師会の仕事も手伝って欲しい"と云われて、私も"それもそうだな、自分の病院のことばかりしていると自己的な奴だと嫌われてもまずいし"と思って、千種区医師会の役員になったのが運の尽きでした。それから"君は周産期を頑張っているから産婦人科医会を中心に働いてくれ"とおだてられるままに今日に至ってしまいました。お人よしと云うことかなあ・・・?
 私の公職履歴だけを見れば"この人医師会活動と云うか政治的なことが好きな人なんだ"と思われがちですが、実は私自身はそれほど組織の中枢で権力を振るうようなことには興味はなく、どちらかと云えば平和に過ごしたい方なので、権力争いなどは嫌いです。実際、自分から積極的に働きかけて会長になった訳でもなく、成り行きで推薦されるままに、理事から副会長、そして会長まで勤めてしまいました。(人望があるのかなぁ? 己惚れるな!)でもそんなに嫌なら断固固辞すれば良いものを、断らなかったのは、まんざら嫌でも無かったと云うことかもしれません・・・?(ホントはどっちなんだ!自分でも解らない・・・)
 しかし、根が真面目ですから?(これも怪しい)、引き受けたからには世のため、人のため、もちろん会員のために一生懸命頑張りました。
 このコラムの愛読者の皆様もある程度理解していただけると思いますが、最近の医療界、特に周産期医療の分野は大変厳しい環境になっています。この厳しい医療環境の中で産婦人科の医者が安心して診療が出来るように、特に若い医者が産科医療に留まってくれるためにはどうすれば良いか。又女性医師が結婚後も産科を続け、夜の当直まで出来る職場にするにはどのような労働環境を作ればよいか。一方で患者さんのためには安心・安全でしかも快適な分娩を提供しなければ満足して貰えないし、その辺のハザマを埋めるにはどうすれば良いか。残念ながら未だ整備過程で完成と云う訳にはいきませんが、ある程度若い医者がやる気を出してくれるシステム作りのレールは敷けたと自負しています。(このように、すぐむきになる悪い癖がありますが、これからは穏やかに、おだやかに)。
 会長をしていた4年間ではこのコラムにも時々産婦人科医療の問題点について生々しいアップデートでリアルな話題を書いたりしましたが、これからはのんびりほのかな、心温まる穏やかな話題を綴りたいと思います。産婦人科医会会長は引退しても、このコラムはもう少し続けるつもりですので、愛読者の皆様、もう少しお付き合いください。よろしくお願いします。