2025年11月20日
第236回
久しぶりのヨーロッパ旅行。続き!
さて、今月はヨーロッパ旅行の続きですが、あれから1カ月以上が過ぎ、記憶が怪しくなってきました。多少記述が間違っていてもご容赦ください(と言っても一緒に旅行した12名以外には分からないことですけれど・・・)。
世界遺産チェスキー・クロムロフの見学の後、再びバスに乗って約4時間、200km走ってウィーンに行きました。いつの間にか国境を越えてオーストリアです。島国育ちの日本人には不思議な感覚です。書類も何も要りません。
昨夜までのプラハのホテルが今一だったので心配していましたがウィーンの‟グランドホテル・ウィーン”は重厚な良いホテルでした。ホテルの夕食も美味しく、ウエイターにも雰囲気があって如何にも昔からあるヨーロッパの名門ホテルの格式が随所に出ていました。私はヨーロッパではこんなホテルを望んでいましたので満足です。これならよろしい。
翌日はウィーン見学。朝一番に美術史博物館に行き、特別観賞と言うことで普通のツアーでは入れない所に入れてもらい、間近でゆっくり名品を見ることが出来ました。
皆さん作品を見て感動していましたが、私は綺麗だなとか上手だなとは思いますが感激して心が震えると言うところまでは行きません。これは私の芸術的感性が低いと言うことでしょうか。複雑な気持ちで他の人達の感動ぶりを眺めていました。
それから、シュテファン大聖堂、国立歌劇場などを見学して自由行動となりました。ただ、私は初日のことがありましたので繁華街のケルントナー通りを少し散歩しただけで、早々にホテルに帰り休みました。
夜のクラシックコンサートは夕食を済ませてからの集合だったので、コンサート用にドレスコードを考えて私は蝶ネクタイ黒スーツ。女性はロングドレスに着替えて、ホテル近くの珍しく入り口で客が並んでいた洒落たレストランに入りました。こちらのレストランのメニューは分かり易くて軽いディナーコースだとスターター、メインディッシュ、デザートの3種類に分かれて書かれていますのでそれぞれ好きなものを選びやすかったです。
愈々クラシックコンサートの会場オペラハウスに入場。会場は豪華でしかも荘厳な作りです。これが音楽の都ウィーンの原点か。出演はウィーンフィルハーモニーではありませんでしたが、ヨーロッパでは有名な楽団らしく、オーケストラの迫力も満点でした。そして男性と女性のソリストも素晴らしくオペレッタ位の迫力は充分ありました。私にとって今回の旅行のメインがこれでしたので、大満足でした。ただ、折角ビシッと決めて行ったのにドレスコードは無かったようでジャケット無しの何処かの国の団体客もいてがっかりでした。因みに彼らは演奏中も私語が多くて案内係に注意されていました。
ウィーン2日目。シェーンブルン宮殿に行きました。デカい宮殿でした。どの部屋も絢爛豪華で、ハプスブルクの女性領主、マリア・テレジアが主役のころを彷彿とさせます。オーストリアと言えばハプスブルク家。私もハプスブルク家の存亡には興味があり、ガイドさんの説明に熱心に耳を傾けました。余談ですが、彼女はオーストリア人だと思いますが綺麗な日本語にビックリしました。昼食は軽めでウィンナー・シュニッツェルと聞かされてどんなものだろうと興味津々でしたが、日本でもよくある薄牛肉のカツレツみたいなものでした。これなら日本の方が美味しいと思いました。
そこから又バスに乗って約3時間。夕方ブダペストのホテルに着きました。このホテルは5星ホテルではありませんでしたが、結構豪華で綺麗でした。プラハのホテルは駄目でしたが、ウィーン、ブダペストは私的には合格のホテルでした。
ブダペスト初日。今日は朝からブダペストの市内観光でした。ミニバスはありましたがほとんど徒歩見学になったのは今までと一緒です。漁夫の砦、聖イシュトバン大聖堂、くさり橋、英雄広場などを見学しました。英雄広場はロープが張ってあって物々しい警備でしたが、何処かの国の国旗が掲げてあったのでそこのVIPが来ていたのだろうと言うことでした。おかげで我々は英雄像の近くまで行けませんでした。残念。
夕食は有名レストランで前菜が特産フォアグラ、メインが国宝と称されるマンガリッツュァ豚の料理と言うことでした。フォアグラは美味しかったですが、豚料理は豚肉の薄切りをバター醤油で炒めたようなもので、国宝と言う意味は分かりませんでした。
今回の旅行。食事に関しては、JTBもそれなりに選んだでしょうが、美味しい物、珍しい物となんじゃこれと思う物と半々くらいでした。食はやっぱり日本ですね。
その後、約1時間のドナウ川チャータークルーズがありブタペストの夜景を満喫しました。しかし、寒くて私はほとんどキャビンで暖を取っていました。
とうとう旅も終わりの日が来て、朝7時頃ホテルを出てブダペスト空港に向かいました。早かったのでホテルで朝食が食べられず、ボックスブレックファスト、簡単に言えばお弁当を持たされてバスに乗りました。オープンサンドみたいなものでした。
帰りもフランクフルト経由で羽田に向かいました。帰りは流石に皆さん疲れていたのかあまり会話も無く、半分ウトウトしながら機中を過ごしました。
羽田に着いたのは翌朝、日本時間午前10時頃でした。10日間同行して親しくなったツアーの仲間に別れの挨拶をして解散となりました。
楽しくも老人には少し(かなり)ハードな10日間の‟華麗なる中欧の旅”でした。
























